留学してた。
- 1 日前
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今年は我が子も一応高校受験生だったこともあり、一般的な大阪の日本の受験システムとか学校や塾での進路指導内容とか中学と高校の関係とか高校と大学のかんけいとか推薦がどーのとか内申点がどーのとか、知れば知るほど複雑なのか簡易化されているのかわからない感じでいろいろとびっくりすることもあったりで、今年度後半は進路、人生とかにいろいろ思い巡らせた。
私学の高校の制服やら買わなあかんものや海外修学旅行やらなんやらかんやらの高額さにびっくりしたし、もし公立高校に行っても多くの子は塾にも行くので結局私学に行くくらいかかりますよ、とかも言われて何がなんやらわからない。高校でこんなにお金かかって、その後大学の学費もあるわけで‥。
日本社会で「留学していた」と言うと、
親、お金持ちなんやね、みたいな前提が設定される、ような気がする。
私は一応日本の美術大学も受験した。
親には私大の学費は無理だろうと自分で勝手に予想判断していたので国公立美術大学の一つ愛知県芸の日本画科を受験したのだけれども、
すぐ(一次で)落ちた。
高校は前に書いたように全寮制のだいぶ変わった学校で、大学受験についても受験対策の勉強はあくまで各自が自分の進路に必要な勉強を自分でする。という感じだった。気がする。島根県のセンター試験会場に国公立を受ける同期生何人かと一緒に電車に乗って受けに行った記憶がある。確か雪が降っていた。
美術大学は実技試験があるわけで、私が受験のためにしたことは、高校の敷地内にある美術小屋という名称の小屋の中で、石膏像マティスを木炭デッサンしたことと、高3の夏休みに東京の予備校”すいどーばた”で2週間くらい受験のための夏期講習を受けたことと、冬休みに名古屋の河合塾の愛知県芸受験コース冬期講習を1週間くらい受けたこと。
名古屋のことはなぜかあまり記憶に残っていない。
東京も名古屋も親の知り合いのお家に居候させていただいてそこから通った。
東京のすいどーばた美術学院は東京藝大をめざす人たちもたくさんいて、
まあなんというか、みんなの気迫がものすごかった。
藝大の浪人生もたくさんいたし、ファッションから髪型からなにからぶっ飛んでるひといっぱいいたし、みんな”アーティスト”って感じだしアトリエも校舎内も油絵の具やら何やらの匂いが充満してて、予備校だけども美術大学のような雰囲気も満々で、なんというか、私は、ものすごく場違いなところに来たような気がして、ちぢこまっていた。
石膏像の木炭デッサン、裸婦デッサン、いろいろやったな。
あと、いきなりでっかい氷の塊がリヤカーみたいなのでアトリエに運び込まれてきて、真ん中にどーんとおかれて、ほんで、この氷から自由に発想して作品を描きなさい。みたいな課題とかもあった。
私は目が点になってなんで氷?みたいな感じで途方にくれたのだけども、他の人たちはすごい勢いでアトリエの中に自分の作業場を確保し、キャンバスやら準備し始めて、大きいサイズにどんどん描き始めていて、なんかもうどんどんわけがわからない私。
とにかく必死でなにか描いたけど、氷→光→色か?みたいに必死で考えて、なんか色の集合体みたいな自分でもよくわからない絵を描いた気がする。
温泉につかる猿の絵を2畳くらいのどでかいキャンバスに描いている人がいて、
講評のときに氷と猿の関係を講師にきかれて、ものすごく真面目に猿のことを力説していたことはよく覚えている。
そのひとは東京藝大の油画科めざして4浪していた。
猿の絵は超絶うまかった。
あのひとははたしてその後無事に東京芸大油画科に合格したのだろうか。
何人かの講師のひとがいて、ほぼみなさん藝大卒とか現役の藝大院生で、
作品の講評のときか、なにかの話のなかでひとりの講師の人が、
フェルトと蜜蝋を使って作品をつくる芸術家の話しをしたのがとても印象に残っていて、
何年もあとに、ドイツの大学の授業でヨーゼフ・ボイスについての授業があって、ああ、あれはBeuysボイスのことだったんだと、そのすいどーばたの講師の話を思い出して私の中でつながった。
なんであの時あの先生はボイスの話をしたのだろう。
こんな感じでセンター試験というものも経験して、とにかく受けてみようと唯一受けた愛知県芸日本画に落ちて、さあ、私どうしようとなった時に、別に是が非でも行きたい大学があるわけでもないのに浪人して予備校に通う理由が見出せなくて、そして、夏期講習などのときの雰囲気を経験してみて、私はあの雰囲気、無理かも、、と思ってもいた。
変わり者を極めるってのはすごい才能とエネルギーを必要とするわけで、私にはその才能もエネルギーもないと思った。
そして、
色々とひかれるものがあったドイツにいこうかな、と思うようになって、まあそれなりの色々のプロセスがあって、よし、ドイツに行こう。と決めた。
一言で言うと、そういう感じだった。
ドイツの大学に入るまでの経緯はまた別の機会に書こうと思うけど、大学は向こうに行ってから決めた。今思うとよく大学に行けたよな、とは思う。
当時のドイツの国立大学の学費はほぼタダで、私が卒業した私立大学も、学費は当時月2万くらいだったので、実際日本の国公立の大学に行くよりも安くすんだ。
シェアハウスの家賃も2万くらいだったし、粗大ゴミでひろった家具や他の学生からの流れものの生活用品でほぼ生活できたし、他の学生もお金なかったし、みんなそんな感じで生きてたしで、いろんなアルバイトをしまくって、結構どうにかなっていた。
まあでもとにかく私は本当にたくさんの方に助けてもらった。
たくさんのひとに、助けてくださいって言いまくって、たよりまくった。
その色々は元を辿れば親がつないでくれたご縁でもあったわけで、そのご縁のご縁であったわけで、親にはやっぱりとても感謝している。
色んな場面で助けていただいた皆様、その節は本当にありがとうございました。



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