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右か左かはわからない。
山村の小学校の4年生と6年生の担任の先生だったK先生は、体格が大きくて、平成たぬき合戦ぽんぽこにでてくるたぬきのような先生だった。 今ではありえないとはおもうけど、K先生は教頭も兼任していて、忙しいからだとは思うが、担当学級のことに関してはいろいろがものすごくルーズだった。 ほぼ毎時間、チャイムがなっても教室にあらわれない。5分くらいしてから、すまんすまん、といいながらやってくる。やってこないときもよくある。待てど暮らせど来ない時は誰が先生を呼びにいくかじゃんけんみたいなのをして負けた人が呼びにいく。あまりにも頻繁すぎるので途中からは先生を呼びにいく係があった気もする。 すまんすまんと言いながらやっと教室に来て教科書をひらいても、すぐにはなしが脱線する。どんどん教科書の勉強からは離れていく。 先生は野口英世を尊敬していて、幼少期に手を火傷して不自由になったけれども一生懸命勉強して立派になった英世の話と貧乏ながら英世を一生懸命育てた英世のお母さんの話を何度も聞かされた。 何の授業だったのかも覚えてないけど、おへそは大事だという話になり、先生のお
7月3日


留学してた。
日本で「留学してた。」と言うと、お金持ち!みたいなイメージがある。 ような気がする。 私は一応日本の大学も受験した。 今考えても無謀すぎるけど、国公立芸術大学の一つ愛知県芸の日本画科を受験した。 そして、すぐ(一次で)落ちた。 一次試験は石膏デッサン。試験会場に入るとそこにいたのは私が一番嫌いな”ジョルジョ”だった。 ますますジョルジョが嫌いになった。笑 ジョルジョ君 在学していた島根県にある全寮制普通科の高校ではそれぞれが自分の進路について自分で考え、選択し、そのために必要な勉強や準備を各自がしていた。 和歌山の田舎の中学校では成績はいい方だった気がするけど、この高校では私はごくごくフツーだったと思う。(たぶん) このちいさな高校、なぜか秀才が多かった。 国公立大学を受験する人も一定数いて、島根県のセンター試験会場となっていた松江まで国公立を受けるメンバーで一緒に電車に乗って受けに行った記憶がある。 確か雪が降っていた。 私が美大受験のためにしたことは、放課後や土日に、高校の敷地内にあった“美
4月27日


疑惑がよんだ疑惑。
私が勝手に贋作だと思っている”ゴッホの贋作の本物”をみるために、名古屋に先日行ってきた。 参照:美輪さんとゴッホhttps://www.kanakookuno.com/post/文句が言いたい 着いてみるとチケット売り場には結構な人の列で、並ばずにQRコードでチケット買ってそのまま展覧会場の10階まで。 10階についてエレベーターのドアが開いたら、目の前にはまたまた今度は会場入り口まで長蛇の列で、ここで今日が日曜であることを思い出して少し後悔したけど並ぶ。 結構な列だったけど回転は早いようで20分くらいで入れたのだけど、入ったら入ったで人だらけではあった。まあ、ゴッホだし日曜だし仕方がない。 最初のいくつかの部屋は家族構成の説明だったり、弟のテオとの関係や、テオの奥さんのヨーの写真やらがバーンと大きく壁にあったり、ゴッホの絵を目当てにきた人間としてはあまり興味がなくて素通りする展示物がけっこうな割合いを占めていて、ゴッホがコレクションしていた絵やゴッホが影響を受けた絵描きの絵やらもたくさん展示されてたり、で、それらがあまりにも多くて、ゴッホの絵
3月22日
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