青い海と空と緑の山と赤い屋根
- Kanako Okuno
- 10月2日
- 読了時間: 6分
更新日:10月19日
一度親になると、それからはずっと人の親であるということの、この重みについて、考え込んでしまうことがたまにある。
ほんとうはそんなに難しく考えることではないのだろうけれども、今はさまざまな情報があふれていて、選択肢も錯綜してて、それがますます現代の子育てを頭でっかちでしんどいものにしているな、とは思う。もちろん、楽にしてくれている部分もあるのだろうけど。
小さい子を育てるお母さんたちの大変さとか気持ちとかを、もうだいぶ忘れてしまっているなと思う今日この頃。あの頃はあの頃で毎日髪振り乱して必死だったはずだけど。
でもまぁ子育てはまだつづいてはいるわけで、息子はいま中学3年生で、今は今の時事テーマがあるわけで「進路」「高校」というワードが目の前にどーんとある今日この頃。
そして、自分の「進路」を思い出したりもしている。
私の進路。
小学校生活は村の小学校ならではの豊かな自然環境のなか、6年間毎日とても楽しく過ごしたけれど、田舎でも中学校になると制服とか先輩後輩の上下関係とか思春期女子の人間関係の超絶あほらしいめんどくささとかが普通にいろいろあった。
中学校生活、まあ適当に私なりに3年間がんばってすごしたけども、どうにもつまらなくて耐えがたかったのが、学級会や生徒会があってもほぼ誰も自分の意見を発言しないということ。公の場ではあまり目立ったことはしないようにする、大勢に合わせる、そんな空気感があった。本当に生徒会がシーンとしていた。
なのに、陰では誰々がどーのこーのとか色々と言うわけで、そういうわけのわからなさに私はうんざりしていた。
中三になった私の進路希望は「制服のない高校」だった。
大人になって、自分も親になって、学校に着ていく服がきまってるってある意味楽だなあとは正直思ったりもするし、色んな家庭のそれぞれの事情があるわけで、それは服装にも表れるから、なのでみんな一緒な制服があることで救われてる子もきっといるだろうなとも思うから、ものごとは一概には判断できないと今は思うけど。
とにかく中学生だった頃の私は制服が苦痛だった。
生徒会で誰も自分の意見を言わないのは制服のせいかもしれないともちょっと思っていた。みんながおんなじ服着てたら自分の意見も個性もなくなるやん!と。
そういうわけで私の進路希望=「制服のない高校」という明確なものがあった。
で、浮上したのが「愛真高校」という高校。
正式名称は「キリスト教愛真高校」
島根県の日本海に面した江津という町にある、全寮制の普通科の高等学校。
通称:愛真(アイシン)
愛真には制服がない。
季節はいつだったかとかは忘れたけども島根まで見学に行き、母と寮に一泊して愛真高校の空気感というものを体験した。
そして、迷うことなく私はこの学校を受験することに決めたのだった。
1学年1クラス定員28名というのがこの学校の創立からのスタンスだったけど、だいぶ変わった学校ではあるので志願者もそんなに多くなくて当時の倍率もそんなにはなかったとは思う。
願書提出も入学試験も一般より早くて、11月に学科と面接の入学試験があり、その時は父と島根まで出かけていき、12月には合格の通知はもらっていた。
というわけで私の進路は学年で一番早く決まっていた。
翌年の3月には村の中学を卒業し、4月から島根県の山の上の学校での高校生活がはじまった。入学式に集った八期生28人は北は福島、南は沖縄出身で、もちろん私は全く知らない人たちなわけで、それなりにドキドキはしていたのだろうけども、当時何かを不安に思ったような記憶はない。
多分それは、1年生1学期の寮の同室者のおかげであったと今は思う。2年生の彼女から入学前の春休みには丁寧な字とあたたかい文章が書かれた葉書が届き、入学後も万全のサポートをしてくれた。
この学校は、朝昼晩の食事も生徒が当番で作る。
そして、学校の食堂でみんなで食べる。(昼はおかずが弁当箱に入っていて、ジャーからご飯をよそい、好きな場所で食べる)。
起床は6時で校庭でラジオ体操をして掃除で1日がはじまり、7時には朝食、そして8時から朝拝、その後、1限目がはじまり普通科の授業がある。
放課後はそれぞれの時間の過ごし方で過ごし、てきとうな時間に寮に帰ってお風呂に入る。今思うとすごいけど、洗濯は手洗い。大抵お風呂で洗濯していた。
7時からの夕食には全校生徒がまた食堂に集い、夕食の後は夕会がありその日の夕会当番の生徒が自分の言葉で紡いだ、日々の中での自分の思いや考えを皆の前で話すという時間がある。
日曜日には日曜礼拝がある。礼拝では聖書を読み、讃美歌を歌う。
うちは仏教だけど、そして母方の家は神道だけど、愛真高校の前に”キリスト教”がついていることは入学前も在学中も私は自然に受け入れていた気がする。聖書にふれることや、讃美歌を歌ったりというのは新鮮な体験でもあった。
食前、食後はもちろん、いろんな場面で、お祈りの時がある。それについては、正直、ちょっとお祈り多すぎなんでないか?と思わなくもなかったけど…。
でも祈りのひと時の静けさが日々のなかにあるというのは悪くない。
夕会のあとは帰寮するのだが、寮では2時間の「沈黙の時間」というのがあって、寮の中がシーンとなる。読書をしたり、勉強したりしてすごす。肥くみ(トイレの排泄物を運ぶ作業)や稲刈りや、養鶏や畑やパン焼きや、書き始めると収拾がつかなくなるくらい、いろいろなことが日々の中にある全寮制普通科高等学校。
こうして書いていると、もう忘れてしまったと思っていた当時の情景や時間をかすかに思い出すことができて、なんて特殊なそして、尊い3年間をすごしたのだろうと、今更ながら感慨深くもなる。
制服のあるなしには関係ないとおもうけど、生徒は皆それぞれ個性にあふれ、あたりまえだけど価値観も意見も全く違うわけで、ぶつかることも大変なことも、そりゃあ色々あった。
でも、青い海と空と、緑の山と、そして石州瓦の赤い屋根の下での日々は、まちがいなく今の私につながっているし、深いところでずっと私を支えてくれている気がする。
卒業して30年近くが経った。今も愛真は、島根県江津市浅利町にある。
近年は当時より生徒数が減っているようだけども、多くの人々の思いと寄付と支えによって、存在し続けている。
来週は、中三の息子を連れて、赤い屋根の母校に見学に行く。
息子はいまのところ全く興味はなく「見学は一応行くけど、寮生活は絶対嫌やから。」と言っている。(笑)
キリスト教愛真高校 https://aishinhigh.ed.jp





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