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アンネ

  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:2 日前

「色々と、ふりーだむ」にも書いたけど、私が学んだドイツのアラヌス大学は、アルフターというボン近郊の小さな田舎町にあり、アルフター町にはアルフター城というお城があった。

大学はそのお城を町からか貴族の末裔からかはしらないが、丸ごとキャンパスとして借りていて、彫刻科や絵画科の学生の制作スペースになってたり、どでかいオブジェが中庭に置かれてたり、建築家の教室があったりした。学生主宰の学期末などのパーティーではお城の大広間がディスコと化したり、とにかく大学はお城を丸ごといろんなことに使い放題で、無法地帯のような感じも少々ありアルフター城まるごとが異次元な空間だった。

お城なので数え切れないほどの部屋があって、学生が住居として住んでたりもして、私も入学した当初数ヶ月はお城に住んでいた。


屋根裏部屋みたいなところが共同キッチンになっていて、そこで各自がご飯をつくったり、結構大きめのテーブルがひとつあってそこで食べたりしていた。冷蔵庫には各自が食料を詰め込んでいて、自分のものに名前を書いてないとすぐなくなるような、いろいろとアバウトなThe学生の共同キッチン。

お城に入居した初日、そのキッチンでひとりでパスタかなんか茹でてた私に声をかけてくれたのが、アンネだった。


彼女は大きなブロッコリーを丸ごと鍋でゆがいていた。そのどでかいブロッコリーを半分に切って湯がき汁と一緒に器に入れて、私にくれた。

え?ブロッコリー丸ごとゆがくんや‥湯がき汁も?飲むの!?とか内心ちょっとびっくりしながらも、ありがたくいただいて、一緒にテーブルについて、どこから来たのかとかきかれて答えたりしたりして当時はまだかなりたどたどしかったドイツ語で話したりしながらそのブロッコリーをたべていたのだけども、ひとくちかふたくちか食べて、私はものすごくびっくりした。

ブロッコリーの茎の枝分かれしたところのなかに、ものすごく大きな芋虫がはさまっていたのだ。ゆがかれた芋虫。

私は土仕事は好きだし生き物も好きだしで、野菜に虫がついていることは特に抵抗もない人間だけど、そんな私もギョッとするくらい、とにかくその芋虫はでかかった。

 普通は洗って房を切り分けるからその時に気づくのだろうけど、これは丸ごとゆがかれたブロッコリー。あと、普通は、かくれていた芋虫もゆがかれると少し白っぽくなってちょっと縮むからブロッコリーから離れてういてくるけどその芋虫はゆがかれても茎の枝分かれの部分にはさまったままになっていた。それくらいまるまると太っていたのだった。

しかもなぜかゆがかれても色がブロッコリーと同色だった。とにかくブロッコリーと同化していた。


入居初日ではじめての場所でポツンと日本人でひとり緊張してるなかアンネが声をかけてくれてとてもありがたかったし、親切に食べ物までわけてくれてとても嬉しかったけど、いったいこの先わたしはどうすればいいのか、まったくわからなくなった。


せっかくいただいたブロッコリーを彼女の前で残すという選択肢はない。

でも、芋虫を食べるという選択肢もない。

今なら「あ!でっかい芋虫!」とかいいながら、器からだすんだろけど、当時21歳だった私には、ブロッコリーに芋虫が入っていたという事実が今明るみになるとアンネ がそのことを申し訳なく思ってしまうんじゃあないだろか‥彼女に申し訳ないと思わせてしまうことは避けたい‥という日本人特有なのかなんなのかはわからないが相手に気を使いまくるとても複雑な心境に陥ったのだった。

若かった。


私はアンネに気づかれないようにどうにか芋虫をブロッコリーからとりはずして、湯がき汁の底に芋虫を残してブロッコリーを食べ切ることに専念した。スプーンを使ったのかナイフとフォークを使ったのかも忘れたけど、とにかくものすごく慎重に芋虫を潰さないようにブロッコリーからとりはずし、ものすごく神経を使ってブロッコリーを食べ切った。そして、湯がき汁は残してささっと自分で器を洗いに行って芋虫を流しに流す。という感じでその状況を切り抜けた。気がする。

とにかく、私にくれたブロッコリーにどでかい芋虫がついていたことにアンネは全く気づくことなく私はブロッコリーを食べ切った。

ブロッコリーを食べるたびに私はアンネのことを思い出す。



先週アンネから20年ぶりくらいにメールが来た。今年21歳になる彼女の娘がこの何ヶ月か世界を旅していて、明日、中国から日本にいくのだけど、かなこたちを訪ねてもいいかしら?という内容だった。


当時、アンネとは別の学生シェアハウスでも一緒に暮らしたりといろいろと縁があり、彼女は年齢もだいぶ上で学年も2年ほど上だったけども大学を卒業した後も私を訪ねてきてくれたりもした。

私の卒業制作は、自分の日常生活の風景を切りとって描くというものでトイレやキッチンやガス台や干された洗濯物やらをどでかいキャンバスに描いたのだけど、アンネはその中の洗面所を描いた絵を買ってくれた。それもかなりでかい作品だったけど。


私がアンネと最後に会ったのが20年前でそのとき彼女はロシア人の恋人の子を妊娠中だった。あの時お腹にいたのが今一人旅をしている子で名前はソフィ。ということなのだった。


その後ソフィから直接メールが来て、泊まってる京都のユースホステルから電車で我が家まできてくれた。一緒に晩御飯を食べていろいろと話をきいた。

 ドイツから友達と旅をはじめて、途中からは一人旅でロシアまでいったらしい。ロシアのおばあちゃんには今回初めてあったそうだ。人々は戦争の状況にはもう慣れているのか淡々と生活しているみたいだったけど、とにかくそこらじゅうに兵士募集の張り紙があったと言っていた。

ロシアから陸路でモンゴルにいきそこでも何週間か滞在し、中国にいき、中国から日本にきて、ひとまず京都に数泊してから名古屋に行って、その後関東の方の農家で住み込みで4月なかばまで働くらしい。

金髪カールのお人形みたいな可愛い彼女からきく、若い女の子一人旅のルートとしてはけっこうハードなバックパックの旅の話をききながら、若いってすごいな!と私は感心しまくりだった。


彼女は昨年シュタイナー学校を卒業して、この旅の後は大学へ進むらしい。子どもの時からバイオリンを弾いていて、音楽の大学に行こうか、それとも別の道を進もうかをこれから決めるそうだ。

透明な光を纏う若いエネルギーに満ちた彼女に、20年という時の流れというものの偉大さというか時の存在感というかをみた気がして、なんだか感動した。


アンネが買ってくれた私の絵は、今も彼女の家の壁にかかっているそうだ。






昔の写真をさがしたら出てきたその絵の写真。





 
 
 

1件のコメント


ずっと憧れてるけど私には出来ないことをすべてやってる❣️すごいなぁ〜

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