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「私の、ホ・オポノポノ体験。」


今までせっせと自分のために書いていた文章がいろいろあって、

日々の目に映る写る色々のときに、ふと思い出す文章がある。


今、この文章をここに載せたいなと思うのは

時空を超えた自分自身のこだまなのかもしれないな。

去年書いた

「私の、ホ・オポノポノ体験。」




8年前に子どもが産まれて、

子育てという修行(?)が始まって、

2歳くらいまでは、修行は楽しかったのだけれど、

もう3歳からは保育所に入れようと思っていた。

で、10月に申請出したけど、

2月最初に、入園不可の通知が届いた。

そもそも狭き門の公立保育所だから覚悟はしてたけど、

通知をながめながら、お先真っ暗な感じで、

しばしボー然としたのを覚えてる。

そもそも2歳の男子はひたすら動く生きもので、

さらに息子は、

一瞬で私の視界からいなくなる、

こわいもの無しの自由人だった。

「あっ」と見つけたものに向かってまっしぐらに進んでいく。

目をはなせない、という字のごとく、

私が一瞬、横を見て視線を戻すと、そこに息子はもういない。

という感じ。

外国で子どもに紐つけてる親がいて、

「あんなん、あかんやろ!犬じゃあるまいし!!ありえん!」

って前は思ってたけど、

あれ、ありやな。ある意味あれは命綱やな。命の問題。

って思った。

つけなかったけど。


そして、子は、いつもマイペース。

気のむくまま、好奇心のままに、その一瞬を生きている。

一緒に歩くと、いちいち、いろんなところでとまったり、

何か見つけてすわりこむものだから

10メートル進むのに10分以上かかる。

すぐそこの郵便局に切手を買いに行くのに

1時間ほどかかったことを、

家に帰って時計をみて気づいて、

あ然としたことをおぼえている。

まあとにかく、修行3年目頃、

いろいろと、私はいっぱいいっぱいになっていた。

イライラが爆発して、

非のないちいさな子をきつく叱ったこともそれはそれは多々あった。

子は、楽しいと感じること、そのとき自分がやりたいと思うことに、

正直に生きているだけなのに。

子が悪くないのはじゅうぶんわかっているのだけれど。


どんなきっかけかとか

もう忘れてしまったのだけど、

ホ・オポノポノをしったのもこの頃だったと思う。

「ホ・オポノポノ ライフ ほんとうの自分を取り戻し、豊かに生きる」

という本の著者、カマイリ・ラファエロヴィッチさんのサイン会というものが

大阪市内の本屋さんであるのをしって、

私は、子どもを連れて梅田グランフロントに出かけていった。

今思うと、サイン会にいくなんて、どうした私!?って感じだけど、

まあいろいろかなりしんどかったのだろう、私。

で、本屋につくと長蛇の列で、

時間はかかりそうで、

動きまくる子を連れて列に並ぶことは無理なので、

絵本を見たりおもちゃコーナーで遊んだりしながら

列が短くなるのをひたすら待って、

結局最後尾になって、最後にサインしてもらって、

握手してもらった。

あたたかい透明な光をたずさえた人だった。

まあ、長らく待ったわけだけれども、

サインも握手も一瞬でおわることで、

別に感動的な何かがあった訳でも特になく、淡々と終了。

その後は子をバギーに乗せて店をでて、駅まで歩いて、電車に乗った。

で、バギーに座る息子を電車の中でぼーっと見ていたのだけれど、

急に、

「わたしもこんな風に自由にしていたかった」

という言葉がはっきりうかんで、

どばーっと涙があふれてきた。

自分でもびっくりするくらい急に。

ぼーっとしていたので、

頭の中は霧がかかった状態で、

とくに何も考えていなかったので

思考の脈絡も何もなく。

電車は結構混んでいて、

泣いてるなんて恥ずかしいので、

涙をとめようと思うのだけど、

どんどんあふれてくるのだった。

あれは一体なんだったのか。

いまでも不思議な感覚で思い出す。

でも、とても具体的に鮮明に覚えている。

私のホ・オポノポノ体験。








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