美輪さんとゴッホ
- Kanako Okuno
- 2月23日
- 読了時間: 3分
更新日:10月9日
前の記事を書いたのが11月で、年末も年始も過ぎて2月も過ぎそう。
よくないとわかっているけど、ついスマホをダラダラとみてると、ありとあらゆる情報やなんやらがどんどん目の前を流れていく。
他人の悩みとか愚痴とか文句とかも流れてきて、その時の自分の時事の悩みと共通してることだったりもして、これはAIに私の悩内まで読みとられてるのか?と不安になるけど、みんな同じようなことで悩んでたりするのだなと思ったりもする。
そして最近は美輪さんの動画や記事がよく流れてくる。美輪さん曰く、感情に左右されないこと、何がおこっても冷静沈着でいること、感謝を忘れないこと、が重要。
ほんまそれ。
そして世界の色んな貧困とか問題とか犠牲とか苦悩とかも流れてくる。それらを知ると、私の悩みなんて悩みではないなと思う。
世界はいつになったら平和になるんだろうかと途方に暮れる。
ダラダラスマホの延長で美術館情報もみてたらゴッホ展のチラシ画像が目にとまった。
今年の夏に大阪市立美術館であるらしい。
で、え???とおもわず画面を拡大してみて私は驚愕したのだけども、それはバーンと使われている”自画像”が理由。
私が贋作だと勝手に思っている絵だからなのだった。
(贋作:ガンサク:特定の作品のにせものを作ること。そのにせ作。)
ゴッホの贋作はたくさんあるらしく、何十億とかの値がついているような絵にも贋作があるらしい。「ゴッホの遺言」という本を読んで私はそのことを知った。
これはゴッホの絵ではない。と私は思う。
パレットの感じとかボタンとめた服の感じとか、顔とか背景とか全部ベタっとしている。
絵に奥ゆきと深みがない。情熱がない。
そもそも遠近法がくるってる。キャンバスもパレットも、ゆがんでるやん。
あと、サインが他の絵と明らかにちがう。サインの場所も品がない。
非常勤で仕事させてもらってる学校で中学生に遠近法の授業をするとき、とても参考になるのがゴッホの絵。
分厚いゴッホの画集のなかのたくさんのゴッホの絵をみんなにみせる。
ゴッホの絵をみながら、地平線や消失点の説明をする。
ものすごい数の絵を描いたゴッホだけど、どの絵をみても遠近法が絵のなかで生きている。
で、その画集の中にもこの”自画像”が載っているのだけど、
私は中学生たちに「これはな、ゴッホの絵じゃないと、私は思う。」と私個人の意見として一応 話をする。この絵は遠近法がおかしい。という説明をする。それは事実。
みんな「確かになんか違和感あるな‥」とか、「言われてみると、なんかちゃう‥」と言う。この絵は「なにかがおかしい」と。
なんでチラシに使ったのがよりにもよってこの絵なのか。
大阪市立の美術館の展覧会の企画に関わっている人たちはその道のプロたちだろうし、ゴッホ展なのだからゴッホの専門家たちがたくさん関わっているだろうし、オランダ大使館とかもNHKとかも共催になってるし、企画会議とか何回もあるだろうに、この”自画像”「なにかがおかしい」と感じる人はひとりもいなかったのか?
謎すぎる。
まあ真相はゴッホしか知らんわけで。
ゴッホ展、楽しみ。
参照:ゴッホ展公式ウェブサイト→ https://gogh2025-26.jp/
⇩これはほんもの。

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