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天袋

初夏の頃、

和室の押入れの上の天袋の整理をしなければと、

ずしんと思った日があって

決行した。ほこりにまみれた色々がでてきて、

その中に祖父母が結婚前にやり取りした手紙があった。

横浜生まれの祖母と、和歌山の田舎生まれの祖父の往復手紙。

祖父の書いた手紙

「‥... 之からも遠慮なく、何でもどしどし言ってください。

そとへ遊びに出る時でも、何処へ行きたい、何を見たいと どしどし貴女の意見を云ってください。唯、ハイハイと云われるのではたよりない気がします。

貴女から田舎はいやだと云われて何だか嬉しい様な気がしました。

「自主の格立」、自己があっての他人であり、社会です。

先づ自分と云うものを確かにつかんで行動することが大切でないかと思ひます。

私は或る意味に於いて、超利己主義者であるかも知れません。

然し、先日も云った様に、自分と云うものを理解しない人間にまで、私の方から進んで、コビヘツラウような事はしません。

貴女も貴女の意見、貴女の性格なるものをハッキリつかんで、世に処して行くのが最善ではないかと愚慮します。

論理めいた話になりました。

では 又。」

70年以上も前に祖父によって書かれた手紙なのだけれど、

泉から湧き出る水のように

みずみずしく私の目の前にあらわれて、

びっくりしたのだった。

夕方、たまたま所用で夫が私の母に電話をかけて、そのときに母が夫に今日は祖父の命日であることを伝えてそのことを夫が私に伝えてくれて、今日2月8日は祖父の命日だということを私は思い出したのだった。

それで思い出した以前に書いた「天袋」の文章をここにのせました。

おじいちゃん、孫不孝な孫でごめんなさい。

そして、いろんなこと、本当にありがとうございます。

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