右か左かはわからない。
- 7月3日
- 読了時間: 7分
更新日:7月28日
ふるさとの山村の小学校の4年生と6年生の担任の先生だったK先生は、体格が大きくて、平成たぬき合戦ぽんぽこにでてくるたぬきのような先生だった。
今ではありえないとはおもうけど、K先生は教頭も兼任していて、忙しいからだとは思うが、担当学級のことに関してはいろいろがものすごくルーズだった。
ほぼ毎時間、チャイムがなっても教室にあらわれない。5分くらいしてから、すまんすまん、といいながらやってくる。やってこないときもよくある。待てど暮らせど来ない時は誰が先生を呼びにいくかじゃんけんみたいなのをして負けた人が呼びにいく。あまりにも頻繁すぎるので途中からは先生を呼びにいく係があった気もする。
すまんすまんと言いながらやっと教室に来て教科書をひらいても、すぐにはなしが脱線する。
どんどん教科書の勉強からは離れていく。
先生はなぜか野口英世を尊敬していて、幼少期に手を大火傷して不自由になったけれども一生懸命勉強して立派になった英世の話と貧乏ながら英世を一生懸命育てた英世のお母さんの話を何度も聞かされた。
何の授業だったのかも覚えてないけど、おへそは大事だという話になり、先生のお母さんは癌になってお腹をなんども切って手術をしたけれど、そのときもへそは避けてお腹を切ったのだと、黒板にチョークでおなかの輪郭線とおへその点とそれを避けてとおる手術の線を何本も描いておへその大切さを話していた。線と曲線と点のその図を今もよく覚えている。
先生のお母さんはよく先生の脱線話のなかに登場した。会ったことのない先生のお母さんであろう老婆を、私は勝手に、浴衣を着た、か弱い感じでいつも想像していた。
あと、奥さんは怖いという話も多かった。
誰かが誰かに唾をかけた、みたいなことが男子同士の喧嘩でおこり、喧嘩をみていた女子たちも誰が悪いかという論議でヒートアップしていた時に、K先生はいきなり唾の素晴らしさを語り始めた。唾のおかげで身体はいろんなことから守られているとか、怪我をしたときも唾を塗っておけばすぐなおるとか、そして、そんな大切な唾を吐くのはもったいない、先生は一滴も無駄にしたくないぞ、と言いながら口の周りを両手で大事そうに撫でた。
学期末の教室の大掃除も、もちろん先生は不在で子供達だけで掃除をするしかないのだけど、子どもも先生不在にはもう慣れていて、自主的に教室の大掃除をするのだけども、そして先生の机も棚も子供たちが掃除するのだけども、毎学期、棚の中から業者から届いた状態のままの大量のテスト用紙が雪崩のようにでてくるのだった。何十枚もの手付かずのテスト用紙を手際の良い女子達が皆に配ってそれぞれ学期末に持って帰るというのはK先生学級においては普通のことだった。
ほったらかしな色々は4年のときに経験済みだったので、6年の時は子ども達は自分たちで係を分担していろいろを自分たちでどうにかしていた気がする。
そんな放任なK先生だったけど、6年の夏休みに学級全員12人を自宅に招いて、一泊2日の合宿を開いてくれた。
村の山奥の集落にある大きく立派な先生のお家での一泊二日は、それはそれは楽しい時間だった。具体的なことは川遊びをしたこととカップラーメンを食べたことくらいしかおぼえていないけど、とにかく楽しかったということがキラキラとした情景と共に記憶にある。
K先生は子どもにとても人気だった。
1年生から6年生まで、子どもたちはK先生のことが好きだった。
学習指導要領にある4年生と6年生で習うべき多くの事柄は私たちには抜け落ちていたし教科書もほぼひらかないので綺麗なまんまだったけれど、学びとして記憶に残っていることもそれなりにある。
ひとつは、書き方、書道。
書き方の時間にK先生が遅れることはなかった。昭和の先生方はみなさん当たり前のように字が上手だったけど、K先生はピカイチだった。
黒板の字は書き方のお手本の字そのままのような美しい字だった。深緑の黒板に白のチョークでのびやかにバランスよくK先生が描く字の美しさはとてもよく覚えている。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。
4年生の時、K先生は雨ニモマケズを全員に暗唱させた。
私たちは、
「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
…」
をなんどもなんども呪文のように唱えておぼえ、職員室のK先生のところにいって暗唱をきいてもらい、最後までつっかえず言えるまで、忙しいK先生を探し捕まえては聴いてもらい合格した。おかげで私は今でも雨ニモマケズを暗唱できる。
6年生の時、K先生は「あたらしい憲法のはなし」という文部省の小冊子を皆に配った。
そして、日本には日本国憲法があって、日本に暮らす人間はこの憲法を大切にしなければならない。という話をして、そして日本国憲法前文を暗誦させた。
4年生の時の雨ニモマケズと同じように、私たちは日本国憲法前文を何度も唱えて覚え、忙しい先生を探してはつかまえて何度も聴いてもらって合格をめざすのだった。
K先生は祝日には日の丸を揚げて君が代を大きな声で歌う先生だった。
K先生が”右”だったのか”左”だったのかは、私にはわからない。
私たちが小学校を卒業してから何年か経ってK先生は校長先生になられた。
長らく先生には会ってなかったけれど、ドイツから帰国した時のいつかの夏に、村の小学校の校庭で開催されていた地域の盆踊り大会で先生に何年ぶりかでお会いした。
「おー、かなちゃんかあ」と先生は再会をとても喜んでくれた。その時もまだ校長先生をされていて、相変わらず先生は子ども達に慕われていた。ただ、熊のような大狸のように大きかった先生がとてもやせておられた。癌を患われていた。
それから何年後かにK先生は亡くなられた。
政治家が巨額の税金を使ってわざわざ憲法を変えようとしているというのを日々ネットやニュースで見聞きするようになった。
「日本国憲法」といえば私はK先生のことを思い出す。
はじめのあたりは覚えていたけど、ほとんど忘れてしまっていたので検索してみた、
「日本国憲法前文」
令和の今あらためてよんでも、至極真っ当なことしか書いていないやん。
日本国憲法。
変える必要全然ないやん。
こんなすてきな平和憲法がある日本を、私は誇らしいと思う。
私が右なのか左なのかは、私にはわからない。
"日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する 諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。”

ふるさとの山村。



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