気がつくと4月からここに書いていない。
日々の生活の中で書きたいことはいろいろあるのだけども、そのまま書いたら何かと不都合が生じるだろうことばかり。
人間社会のことはもういろいろほんとうにわけがわからなくなってきた。
世界は混沌としている。
今私のなかでぐるぐるしている色々は世間的にずれてるだろうことばかり。
うっかりすると誰かに怒られることも書いてしまいそう。
まあ、怒られてもいいやという度胸がないので書けないというだけのこと。
お盆前の数日の夏休み。
串本海中公園に行ったこと書こう。
海中公園は多分小学生の時以来で、それでも子供の頃は何回かきてるはずだけども全くもう記憶になくて、こんなに古びた水族館なんかとちょっとびっくりもしたけれど、
魚たちはすばらしく美しかった。
まず、水の中にいるためのフォルムとしての多様さがはんぱない。
水の中で生きるために必要な共通形はあるのだけれども、その共通形でありながらの多様さがすごい。
細いのとか丸いのとか縦にながいのとか平べったいのとか。
丸くて長いとかひらべったくて三角とか。
そして絶妙なバランスのヒレや頭の大きさと配置。
水の中で生きるためのフォルムの可能性は無限。
そして、色。
ストライプも水玉模様もグラデーションも、真紅もピンクもグレートーンも、ほんでネオンのような蛍光色も。
漆黒と真黄色の組み合わせとか、蛍光の青と黄色とか、緑から青のグラデーションの中に赤の線とか。どれも斬新でありながらミスマッチがひとつもない。
本当におしゃれで、それぞれにこのうえなくハイセンス。
灰色で潜水艦みたいなボディーに小さい点々が一筋に並んでてその点々が尾びれの付け根だけ大きいもんもんになってならんでる、とか、ストライプのバリエーションも太さの違う線が縦に絶妙にならんでいたり、もちろん横縞もあって、太さと線の間隔の組み合わせも様々。
体型がごつくて唇も分厚くて曲がっていてどうみても強面なのに、模様は全身頭からヒレまで水玉模様とかもいて、
もう一体なんなのか。と思ってしまう。
このユーモアに溢れた美しさ、ハイセンスさよ。
一体誰がこのフォルムと色とがらを組み合わせたのか。
これを創ったのは一体だれなのか。
とかゆうことを水槽をみながらひたすら思うのだった。
そして海中展望塔の小さい丸い窓からみた海の中の魚たちの生きる様子というのは、水槽のなかの魚たちの生きる様子とはまるっきりちがっていたということが、あたりまえなのだろうけどもとても衝撃的だった。
書けるのは、魚のことくらい。
海中公園を出たら雨が降ってきた。天気予報では晴れやったのに。
本州最南端のスーパーでお弁当買って、漁港で食べて、そしてじゃあどうしよかってなって、前からぜひ一度行ってみたいと思ってた田並劇場に行ってみることにした。
「田並劇場」
かつて映画館だった木造の建物が廃墟になっていたのを、あるご夫婦が復活させた場所。
すばらしい場所だった。
蘇るってすごいことだな。rebornやもんな。復活やものな。
色々迷ったけど、数日の夏休みは良きものだった。
私のなかの何かもちょっと蘇った。
そんな感じ。
まったくまとまらないけども、
夏休みの日記。
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