ポーランドのことを思い出して、そしていろいろと大学のことも思い出して、そして大学の彫刻科の先生のことも思い出して、名前を検索してみた。
そしたら、あの頃の彫刻科の教授は二人とも昨年末に引退されたようで、引退に際してのインタビューが大学のホームページに掲載されていた。写真もあって、ふたりとも歳とったなあ、、と思った。
その記事を今朝、彫刻科だったベアにみせて、ベアもやっぱり、歳とったなあ、、、と言った。しばしあの頃に思いを馳せ、ふと、ふじわらまことさんはどうしてるかな、と言った。
私は、なんとなく変な予感がして、で、パソコンで、”藤原信”、と検索した。
Wikipediaの”藤原信(彫刻家)”が上がったのだけども、名前の横の生年月日の横にもう一つの期日が記されている。2019年6月3日。
一瞬あたまが真っ白になった。うそやろ…?って思ったけど事実やった。
信さん亡くなったんや。3年も前に。ノルウェーの石切場の作業小屋で、とある。
誕生日は4月8日。あ、一昨日やったんや。
桜の季節に生まれた人だったんやな。
石彫家、藤原信さん。
彫刻科の1年生はノルウェーの石切場で石の作品を作るという1ヶ月くらいに及ぶ合宿がある。考えるだけでもしんどいけど、合宿の後ノルウェーから何トンものばかでかい石の作品がバカでかいトラックに積まれて大学に運び込まれるその光景をみながら、この後、この重たい石の作品を皆一体どうするのだろう、、、とかいうことを思ってしまったりして、つくづく彫刻科の学生でなくてよかったと私は思ったのを覚えている。
彫刻科だったベアもその合宿に参加していて、合宿の後は大学も夏休みなのでそのまま残ってノルウェー人の石彫家のもとで住み込みで実習生としてしばし働くことになった。
そういえばベアは彫刻科の優等生だった。日常のごちゃごちゃと紆余曲折の年月の中でそんなこともすっかり忘れてしまっているな( ̄◇ ̄;)
せっかくだし夏休みだしで私も格安航空券でノルウェーに遊びに行ったのだけど、石彫家たちが作品を創っている石切場で出会ったのが藤原信さんだった。日に焼けて髪もヒゲも白髪混じりで、でも目は少年のようで総合的に年齢不詳な感じの印象だった。あの時は60代半ばだったのだな。
ヨーロッパ生活が長い人だけども、ものすごく日本人だった。
日本にいる日本人よりも日本人だった。
ドイツにもノルウェーにも家があって、小さな白と水色の家だった。僕の奥さんになる人は幸せだとか、冗談なのか本気なのかわからないことを話しながら家の中を案内してくれた。不必要なものがないきちっと整理整頓された家。車も白だった。白い車はヨーロッパではめずらしい。
私が入学したころは小さな専門学校みたいな感じだった大学が、2年になる頃からドイツ国の大学としての認可がおり、大学の規模自体がぐんと大きくなるという大変革があった。それまで大学じゃなかったんやというのも今思うとびっくりだけども。
その認可のための色々には彫刻科の教授と石彫家仲間だった藤原さんの尽力も少なからずあり、そして大学の規模拡張に伴い世界の大学とも姉妹校提携を結ぶことにもなり、その中の1校として日本の広島市立大学と姉妹校提携を結ぶことになった。日本人は私しかいなかったし、日本と何のゆかりもない大学だったけどなんだかそういうことになったのも、藤原さんの尽力があってのことだと思う。
その提携を結ぶにあたっての大学同士の色々もあって広島からも数人の方がこられたりもして、私は、なんちゃって通訳としてそれらに臨席することが多く、そんなわけでドイツでも藤原さんと会う機会がいろいろあった。
私たちが日本で住み始めてから、藤原さんから急に電話があって、今日本にいるから一緒にご飯を食べようということで、ベアと京都の小料亭でご馳走になったこともあった。
そのお店の釜飯がとても美味しかったのを覚えている。
それからも、年に一回くらい電話がかかってきた。
もしもし、ととると、いっしゅん無言電話のような間があって、そして「そちらはオクムラさんですか?」と片言の日本語みたいな話し方で決まってちがう名前を言う。それで毎回信さんだとわかる。オクノってわかってるはずだけど、とりあえずとぼける。そして、べあとらむは元気か?ときき、ひとしきり話して、じゃあな、といきなり電話がきれる。酔っていたのかは不明。
そらいが生まれてからも、年に一回くらいは電話がかかってきてたし、イモムシの写真に、”そらいくん、ノルウェーにはこんな虫がいるぞ。”とだけ書かれたメールが届いたりしていた。
2019年6月3日。
もう3年以上も信さんから連絡なかったんやなと気づいた。
ときどきふと、信さん、どうしてはるやろ、って思うことはあったけど。
もっと、そらいの写真、送ったらよかったな、とか、近況メール書いたらよかったなとか、思いはじめたらなんか泣けてきて仕方がない。
岐阜のお寺に生まれて、彫刻の道にすすみ、渡欧する人はまだそんなにいなかったであろう頃に海を渡り、そして生涯、石と共にあった人。
生まれ故郷にある巨石群の話を自分で撮ってきた写真をみせながら熱く話してくださったのを思い出す。
日本を心から愛していた。
いつかの電話の時に、作品は創っているかときかれ、なかなか時間がないとぼやくと、時間は創るものなんだと諭された。
私の中にずっと残っている言葉。座右の銘。
ノルウェーの石切場での最期。信さんが納得のいく最期であっただろうか。
そうであったらいいな。
藤原さんの石と言葉たち。
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