前の記事を書いたのが11月で、年末も年始も過ぎて2月も過ぎそう。
なんか書こう。
よくないとわかっているけど、ついスマホをダラダラとみてると、ありとあらゆる情報やなんやらがどんどん目の前を流れていく。
他人の悩みとか愚痴とか文句とかも流れてきて、その時の自分の時事の悩みと共通してることだったりもして、これはAIに私の悩内まで読みとられてるのか?と思ったりもするけど、みんなおんなじようなことで悩んでたりするのだなと思ったりもする。
そして最近は美輪さんの動画や記事がよく流れてくる。美輪さん曰く、感情に左右されないこと、何がおこっても冷静沈着でいること、感謝を忘れないこと、が重要。
ほんまそれ。
そして世界の色んな貧困とか問題とか犠牲とか苦悩とかも流れてくる。それらを知ると、私の悩みなんて鼻くそやなと思う。
世界はいつになったら平和になるんやろうかと途方に暮れる。
なんとなしに美術館情報もみてたらゴッホ展のチラシ画像が目にとまった。
今年の夏に大阪市立美術館であるらしい。
で、え???とおもわず画面を拡大してみて私は驚愕したのだけども、それはバーンと使われている”自画像”が理由。
この絵はゴッホの贋作だと疑われている作品で、私は贋作だと確信している絵だからなのだった。
(贋作:ガンサク:特定の作品のにせものを作ること。そのにせ作。)
ゴッホの贋作はたくさんあるらしく、何十億とかの値がついているような絵にも贋作があるらしい。「ゴッホの遺言」という本を読んでそのことを知った。
ゴッホを愛し、ゴッホの絵がほんとうに好きな人はわかる。
というか、絵を描く人はわかると思う。
どうみても、これはゴッホの絵ではない。
パレットの感じとかボタンとめた服の感じとか、顔とか背景とか全部ベタっとしている。絵に深みがない。右手でパレット持ってるし。
そもそも遠近法がくるってる。キャンバスもパレットも、ゆがんでるやん。
非常勤で仕事させてもらってる学校で中学生に遠近法の授業をするとき、とても参考になるのがゴッホの絵。
分厚いゴッホの画集のなかのたくさんのゴッホの絵をみんなにみせる。
ゴッホの絵をみながら、地平線や消失点の説明をする。
ものすごい数の絵を描いたゴッホだけど、どの絵をみても遠近法にくるいがなく、そして、遠近法が生きている。
で、その画集の中にもこの”自画像”が載っているのだけど、
私は「これはな、ゴッホの絵じゃないと、私は思う。」と私個人の意見として一応、話をする。この絵だけなぜか遠近法がおかしい。という説明をする。それは事実。
みんな「確かに、なんか違和感あるな‥」とか、「言われてみると、なんかちゃう‥」と言う。この絵は「なにかがおかしい」と、中学生は感覚的にわかる。
100歩譲って、この絵を展示するのは仕方がないのかもしれない。何十億の値がついてる絵が実は嘘物ですとなるとどえらいことになるんやろな。いろんな利害関係とかあるんやろし。と推測できる。
でもでも、なんでチラシに使ったのがよりにもよってこの絵なのか。
大阪市立の美術館の展覧会の企画に関わっている人たちはその道のプロたちだろう(と願う)し、ゴッホ展なのだからゴッホの専門家たちがたくさん関わっているだろうし、オランダ大使館とかもNHKとかも共催になってるし、企画会議とか何回もあるだろうに、この”自画像”「なにかがおかしい」と感じる人はひとりもいなかったのか?
そもそも知識として、これは贋作疑惑がある絵という認識は専門家たちにはなかったのか??
謎すぎる。
会期が近づくと大々的に宣伝もなされるだろうけど、大阪中そこいら辺でこの絵がゴッホの絵としてまきちらされるのかと思うと気が滅入るし、腹がたつし、文句が言いたくなる。
何があっても感情的にならず、冷静沈着でありたいけど、腹が立つことはたくさんある。
でも多分ゴッホは天国で「いろいろは仕方がないよ。僕の展覧会をしてくれてありがとう」って思ってるんやろな。
そして真相はゴッホしか知らんわけで。
参照:ゴッホ展公式ウェブサイト→ https://gogh2025-26.jp/
⇩これはほんもの。

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