前の前の記事に、赤い手袋がザリガニのバケツに落ちたことを書いた。
あれは、年末に自転車を漕ぎながら、そういえば私はサンタクロースになにもらったっけなあ〜とふと思ったのがきっかけで思いだしたことだったのだけども、
なんとその数日後に、私はそのハプニングの現場の学校の玄関ホールを、現実に自分の目でみることになったのだった。
秋ぐらいから子どもが野球に興味をもっていて(きっかけはドラベースという漫画!笑)バットとグローブとボールを手に入れて庭で遊んだりしているのだけれども、何せここは大阪で、思いっきり投げてかっ飛ばすということができないので、お正月、龍神に行ったら小学校のグランドでぜひとも子どもと野球をしたい!とまえから思っていたのだった。
それで、大晦日に龍神にいって、
快晴の1月1日に母校のグラウンドに野球をしにいったのだけど、そこがその赤い手袋がザリガニのバケツに落ちた場所だったというわけ。
龍神に行くのも1年ぶりだったし、母校の小学校のグラウンドに行くのは、3年ぶりくらいではないだろか。
正面玄関のガラス戸から中をのぞくと懐かしい光景がそこにあった。
まさに数日前に私が思い出していた光景。記憶よりはずっとこじんまりしていたけど、これはよくある、子供の頃の記憶と大人になってから実物を見た時の大きさの感覚のギャップというものだろう。
玄関ホールは、ろうかの壁に木の板がはってあったり、下駄箱も木製になってたり、あのころよりもなんだかあったかくていい感じになっていた。
ザリガニのバケツがおいてあった階段の下の空間には畳が2畳しかれいて、ほっこりした空間になっていた。
そして、下まで筒抜けだった階段の手すりのすきまは、とうめいな板がくくりつけてあって、階段の隙間から下に物が落ちないようになっていた!!!笑
龍神行ったら子どもと思いっきり野球したいな、というのは前から思っていたことだったから、お正月に母校を訪れることになるのだろう、ということは私の中でなんとなくほわああんとイメージとしてあった。
そして、それとはぜんぜん別に、クリスマスという時期に自転車を漕ぎながらふと思い浮かんだことから私のなかに思いうかんだイメージ。
そのふたつが、たまたまつながったのがその数日後ということだけの話なのだけど、
なんかしらんけど、なんかしらんけど、おもろいな!…と私は感じる。
久々に訪れた母校の小学校。
ここは母校でもあり、そして私が育った場所でもあるわけなのだけど、運動場のまんなかに立って、ぐるーっと見渡して、青い空も見上げて、遠くの山も眺めて、
なんてなんて素晴らしい場所で私は子ども時代をすごしたのだろう‥と驚きにもちかい感動にしばし私はつつまれたのだった。
Iターンという言葉もなかっただろう40年近く前に、村民皆親戚(語弊があったらすみません^^;)みたいなところに家族で引っ越してきて、その引っ越しは親の意思と希望と意向だったわけで、子どもの私にしてみれば、それまでの生まれ育った安心できる場所から見ず知らずの場所に親の都合で放り込まれたという感じなわけで、
そして、親もなんか”普通な感じ"の人たちではなくて、村の中で明らかにうちの家族は浮いていて…
まあ”普通”に憧れた私なりの気苦労(?)みたいなのはいろいろとあったのだけども‥
ぜーんぶ、ぜーんぶひっくるめて、親がどうのこうのを超越したところで、
私の魂は自らここにきたのだろうと思ったし、魂自らがこの場所で育ちたいと思ったのだろうし、すべては私の魂の意思なのだろうと、なんとなくそう思った。根拠はないけど。そう思えたら、なんかしらんけど全てのことに感謝があふれてきた。
龍神村の小学校。
大阪のコンクリートの小学校を見慣れたからか、母校の小学校の建物の小ささや、アットホームな感じやらがとても新鮮ですばらしく感じた。
そして、覗き込んだ玄関ホールに全校生徒の顔写真がお誕生日ごとにはられていて、その数の少なさに、急激な過疎化で子供の数が激減している村の実情を実感した。現に村の学校も統廃合が進み、母校の校名も当時とは変わっている。
大阪で学校が楽しくなくて、でもどうにもしようのない気持ちをかかえている子どもたちが結構な数いるであろう、ということと、子供の数が激減する過疎の村。
なんか色々がうまいこと繋がって、町の子も村の子も、先生も親も、みんな朗らかに心から笑えたらいいな〜って、ほわわああんと思った、2020年1月1日。
建物やらは、子供の時に感じてた大きさよりも小さく感じたのだけれども、
校庭に生えているくすの木、
これだけは、大人になった今見上げてもそれはとても大きくて、そして、ともすると
子どもの時のイメージよりもさらに大きく大きく感じたのだった。
それくらい、幹は太く枝葉はのびのびと大きく育っていた。
もうこれは、御神木。
御神木がある学校。
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