昨日は夏至の日で、私は夏至の日に生まれたのだけども、6月21日が誕生日だという人を個人的に7人知っていて、もしかしたら統計的にも夏至の日が誕生日だという人は多かったりもするんじゃないだろかと思ったりもする。
41歳とか実感はまったくなくて、ふらふらと日々生きている自分に、「ええのかこんなんで??」と自問して、41という数字の前でおののいているというのが正直なところだけれども、とにもかくにも、ご先祖のみなみなさま、両親、そしてたくさんの方々に存在に生かされささえてもらっていることにあらためて心より感謝申し上げる気持ちでいっぱいなのが誕生日という日だな。
昨日は日本では夏至と部分日食という偶然が重なる日でもあったらしい。
空は曇って太陽はみえなかったけども、なんとなく辺りが薄暗くなったような感覚はあったな。見えた人もいたみたい。 天体のこととか太陽と月と地球の関係のこととかは小学校の高学年くらいに習ったと思うけども、子どもの私にはスケールが大きすぎてイメージが全くできなくて理解できなかった。どうして春夏秋冬があるのかとか、南半球と北半球のちがいとかについても、おとなになった今も正直ちゃんと理解できてないままで、子どもに質問されても多分答えられない。
月が地球の周りをまわっていて地球も自分で回っていてそしてその地球が太陽の周りを回っている、とか、しかも地軸が斜め、とか、同時に想像しなきゃいけないことがおおすぎて、どうやってその宇宙の”状況”を思い描いたらいいのかが、もうイメージ力のキャパオーバーで無理。
なのだけれども、日食のしくみ(?)については、私はふに落ちていて、それは”皆既日食”というものを実際に体験したからだろうと思う。
19歳でドイツに渡ってはじめての夏。 そのとき在籍していた学校は夏休みは寮をでなければならず、春にドイツに来たばかりだし帰国するのも旅費がかかるしということで住み込みのお手伝いさんみたいな感じで1ヶ月、あるご家族のお家で住まわせてもらってたときだった。 Stuttgartという南ドイツの町の郊外。
お昼間なのに、あたりがうす暗くなってきて、そしてそれまでピーチクパーチク元気に鳴いていた小鳥たちの声が、暗くなるのにつれてどんどんきこえなくなり、そして一羽もなかなくなってシーンとしたことを覚えている。
さっきまで明るかった世界はどんどん暗くなってそして昼間なのに辺りは真っ暗になったのだった。 世界が暗くなるスピードが体験したことのない速さなわけで、それがとても不思議でどこか不気味でもあった。世界があっというまに闇と静寂に包まれた、そんな感じだった。
そのうちまたしだいに辺りが明るくなってきて、だんだんもとの昼間の明るさにもどって、鳥たちも何もなかったかのように元気になきはじめたのだけども。
今でも不思議な感覚でおぼえている皆既日食。
あの時も曇ってはいたけれど、太陽をのぞける紙製のメガネみたいなので月と太陽が重なる様子がみえて、月が地球と太陽のあいだにある状態というものを認識できた。
あの時はわからなかったけども、今考えると皆既日食を体験するなんて人生においてなかなかないわけで、たまたま私はあの日あの時、地球の上のあの町にいたから体験できたわけで、ありがたい偶然だったのだな。
そして、あのとき私がとてもとても不思議に感じたのが、 太陽はとてつもなく大きくて、月は地球よりもだいぶ小さいはずなのに、なのに、地球からみえる太陽と月の大きさがぴったり同じって、なんという偶然なんだろう????ということだった。
いま考えてもものすごく不思議な偶然。
というか、これは偶然ではないのだろうなと、理系の理論がイメージできない私はなんとなく思う。
宇宙の自然。
宇宙に思いを馳せた、夏至の日の誕生日。
今年こそはもう少しちゃんとした大人になれますように。
神様仏様宇宙様、どうかよろしくお願いします。
誰の誕生日かわからない写真
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