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地上での働き

ドイツで暮らしてた時の話。


夫ベア(あの時はまだ夫ではなかったけど)は、

障害を持った子どもの生活サポートのアルバイトをしていた。

子どもを学校に迎えに行って、家まで送ったり、

休日に一緒に出かけたりする仕事。


ベアの担当はハシブ君。

アフガニスタンからの移民の家族の子どもだった。

ドイツは中東系の人たちもたくさん住んでいる国。

ハシブの障害は脳性麻痺だったと思う。

車椅子に乗っていた。

小学校4年生くらいだったかな。

体格が大きくて、パワフルで明るい子。

(今はもう20代の青年なのだな!)


私も一度、お出かけにお供したことがある。

クリスマスマーケットへのお出かけ。

思えばちょうど今頃だった。

今、ドイツはどの町も クリスマスマーケットで賑わっている時期

その日はベアについて 家までハシブを迎えに行って、

弟たちも一緒に行きたいと言い、じゃあ一緒に行こうとなり

兄弟も連れて みんなでわいわい出かけた。

アフガニスタンの家族は子沢山。


車椅子を押して、みんなでぶらぶらと散歩しながら 

色とりどりのワクワクするお店を順番にみてまわってたのだけど、

あるお店で、子どもたちがお店のものを眺めている時に、その店の人が

「君らの父親みたいな人間のせいでこの国の人の仕事がなくなる。」

みたいなことを、子供たちにいきなり言ってきた。


子どもたちはぽかんとしていたし、私もベアも は?という感じで一瞬フリーズし、

その場を子どもたちを連れてひとまず離れた。

数十メートル離れてから、ベアがひとりでそこへ戻って、

店の人に猛烈に反論して また私たちのところに戻ってきた。

そんなできことが一瞬あったけど、でも、子どもたちにはよくわからないまま過ぎたし、

他にも楽しいことはあったから、

全体的には楽しいお出かけにはなったのだった。


子どもたちを連れてお家まで送って、おいとましようとする私たちを、

ハシブのお母さんとお父さんは、まあお茶でもどうぞと引きとめてくれて、

ソファーにすわってゆっくりお茶をいただいた。

その時は、ちょうどアフガニスタンからおばあちゃんも来られていた。

おばあちゃんは、イスラム教の黒いヒジャブで全身がすっぽり包まれていて、

ほんとうに外からは目しかみえなかったけど

優しくてあったかいたたずまいだった。

ハシブのお母さんは、元気で明るい肝っ玉母ちゃんという感じで、

ヒジャブも着ていなかったな。

ドイツ語も上手だった。

ドイツの地で生きていくと決めていた感じ。

お父さんは失業中で、多分 家族は国からの援助で生活していたのだと思う。

お父さんのドイツ語はたどたどしかった。

元気もあまりなかった。


アフガニスタンの写真をたくさんたくさん見せてくださった。

銃を持って砂漠のようなところに立つお父さんの写真もあった。

ターバンをまいてヒゲを蓄えてかっこいいお父さん。


戦争が始まる前は、

アフガニスタンには 本当に夢のような景色が広がっていたと 話してくれた。

写真に写っている景色も草木が生き生きと生い茂って緑に溢れていた。 

庭にはいろんな果物の木があって、

なんでも採れたって、話してくれた。

その話をするときの お父さんの生き生きとした様子をおぼえている。


そして、話をききながら

どうやら アフガニスタンの人たちは 

日本人のことを

とても特別に思っている。

そのことに 気がついた。

日本人への厚い信頼を 

とてもとても感じたのだった。


あのとき、あんなにも暖かく引き止めて、おもてなししてくださったのは

もちろん、ベアの人間としての優しさへの 心からの信頼があっただろう。

そして、もうひとつは

私が 日本人だったから。

そのことが確かにあったと思う。

中村哲医師が、銃弾を受けて亡くなったというニュースをみた。

ただのニュースだからうそかもしれないけど、

でもやっぱり、本当なのだろう。

涙がどうしてもあふれてくる。

もう 10年ほど前だけど、

中村医師の講演会に行ったことがある。

暑い夏の午後 

クーラーのきいた照明を落としたホールで、

中村医師の、

あの 何かを超越した

深く静かなやさしい声をきいていると、

もうどうしようもなく眠くなってしまい、

とにかく眠気との戦いの時間だった。

こんなに深刻で大変な現状の話をきいているのに

こんな時に寝てもたら、あかーんっ!ってわかっていながら

必死で睡魔と戦っていた私‥。

講演会の後、握手をしていただいたのだけど、

睡魔との戦いに翻弄され時々敗北していたあとの私は、

なんだか申し訳なくてはずかしかったのを覚えている。


そして、お顔を間近で見て、

まっすぐに世界を見据えた

その 不思議な目の向こうは、

人間の域をこえたところに通じていたことも。


涙と一緒にあふれてくるのは

中村医師の 

地上でのお働きへの心よりの感謝。


私のいのちを 精一杯生きよう。

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