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地上での働き

更新日:2月19日

ドイツで暮らしてた時の話。


ベア(あの時はまだ夫ではなかったけど)は、障害を持った子どもの生活サポートのアルバイトをしていた。

子どもを学校に迎えに行って、家まで送ったり、

休日に一緒に出かけたりする仕事。


ベアの担当はハシブ君。

アフガニスタンからの移民の家族の子どもだった。

ドイツは中東系の人たちもたくさん住んでいる国。アフガニスタンの戦乱のなか難民としてドイツに渡ってきたひとたち。

ハシブの障がいは脳性麻痺だったと思う。

車椅子に乗っていた。

小学校4年生くらいだったかな。

体格が大きくて、パワフルで明るい子。数えてみたら今はもう20代の青年なのだな!


私も一度、お出かけにお供したことがある。

クリスマスマーケットへのお出かけ。

思えばちょうど今頃だった。

今、ドイツはどの町も クリスマスマーケットで賑わっている時期。その日はベアについて 家までハシブを迎えに行って、弟たちも一緒に行きたいと言い、じゃあ一緒に行こうとなり、兄弟も連れて みんなでわいわい出かけた。

アフガニスタンの家族は子沢山。


車椅子を押して、みんなでぶらぶらと散歩しながら色とりどりのワクワクするお店を順番にみてまわってたのだけど、あるお店で、子どもたちがお店のものを眺めている時に、その店の人が「君らの父親みたいな人間のせいでこの国の人の仕事がなくなる。」

みたいなことを、子供たちにいきなり言ってきた。


子どもたちはぽかんとしていたし、私もベアも、は?という感じで一瞬フリーズし、とりあえずその場を子どもたちを連れて離れて、数十メートル離れてから、ベアがひとりでそこへ戻って、店の人に猛烈に反論して私たちのところに戻ってきた。

そんなできことが一瞬あったけど、でも、子どもたちに何も影響なくやり過ごせたし、他にも楽しいことは色々あったから、全体的には楽しいお出かけにはなったのだった。


子どもたちをお家まで送りとどけて、おいとましようとする私たちを、ハシブのお母さんとお父さんは、まあお茶でもどうぞと引きとめてくれて、家に招き入れてくれ、ソファーにすわってゆっくりお茶をいただいた。

その時は、ちょうどアフガニスタンからおばあちゃんも来られていた。

おばあちゃんは、イスラム教の黒いヒジャブで全身がすっぽり包まれていて、ほんとうに外からは目しかみえなかったけど、優しくてあったかいたたずまいだった。

ハシブのお母さんは、元気で明るい肝っ玉母ちゃんという感じで、ヒジャブも着ていなかったな。

ドイツ語も上手だった。

ドイツの地で生きていくと決めていた感じ。

お父さんは失業中で、家族は国からの援助で生活していたのだと思う。

お父さんのドイツ語はたどたどしかった。

元気もあまりなかった。


アフガニスタンの写真をたくさんたくさん見せてくださった。

銃を持って砂漠のようなところに立つお父さんの写真もあった。

ターバンをまいてヒゲを蓄えてかっこいいお父さん。


戦争が始まる前は、

アフガニスタンには本当に夢のような景色が広がっていたと話してくれた。

写真に写っている景色も草木が生き生きと生い茂って緑に溢れていた。 

庭にはいろんな果物の木があってなんでも採れたって話してくれた。

その話をするときのお父さんの生き生きとした様子をおぼえている。


そして、話をききながら、どうやらアフガニスタンの人たちは日本人のことを、とても特別に思っている。

そのことに 気がついた。

日本人への厚い信頼を、とてもとても感じたのだった。


あのとき、あんなにも暖かくつよく引き止めて、おもてなししてくださったのは、もちろん日頃のベアの人間としての優しさへの 心からの信頼があったからだろう。

そしてもうひとつは、私が日本人だったから。

そのことが確かにあったと思う。

アフガニスタンの人たちは日本をとても大切に思っているのだな。そういう気がした。


中村哲医師が、銃弾を受けて亡くなったというニュースをみた。

ただのニュースだからうそかもしれないけど、

でもやっぱり、本当なのだろう。

涙がどうしてもあふれてくる。


もう 10年ほど前だけど、中村医師の講演会に行ったことがある。

暑い夏の午後 クーラーのきいた照明を落としたホールで、中村医師の、あの 何かを超越した 深く静かなやさしい声をきいていると、もうどうしようもなく眠くなってしまい、とにかく眠気との戦いの時間だった。

こんなに深刻で大変なアフガニスタンの現状の話をきいているのに、こんな時に寝てもたら、あかーんっ!!!ってわかっていながら、必死で睡魔と戦っていた私‥。

講演会の後、握手をしていただいたのだけど、睡魔との戦いに翻弄され時々敗北していたあとの私は、

なんだか自分が申し訳なくてはずかしかったのを覚えている。


そして、お顔を間近で見て、静かに世界を見据えた

その不思議な目の向こうは、人間の域をこえたところに通じていたことも。


涙とともにあふれてくるのは、中村医師の地上でのお働きへの心よりの感謝と畏敬の念。


私のいのちを 精一杯生きよう。

 
 
 

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