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ドーハの大雨




カタールと聞くと思い出すのはドイツでの生活を片付けて、日本で生活してみよう!と片道航空券で日本にやってきたあのときのこと。


片道航空券は往復より割高なのだけど、あの時は片道航空券としてはカタール航空が一番安くて、当時カタールなんて国があること自体知らなかったので、どっかの小さな国の航空会社なので安いんだろうう、機材とか古いやろうしサービスも期待できんやろうけども、安さ一番!っていうことでカタール航空の片道航空券を買った。


 人間ふたりが生活してきた荷物は、捨てれるものは捨てて売れるもんは売って、フリマしたりして減らしてもそれなりに量があるわけで、ドイツ⇄日本専用のコンテナ引越し便というのが当時はあってそれに詰め込んで船便で送ったりそれなりに大変な引越し作業だった。もういろいろは忘れたけれども、覚えているのは引越し作業真っ只中にベアがぎっくり腰になって動けなくなり、ひっくり返ってる家の中で、え、引っ越しどうするの?ってなったこと。

まあ、大変だったけど全てはどうにかなって、なんとかドイツを発ったのだった。


 ドイツを離陸して数時間後にドーハというこれまた当時は聞いたこともなかったところで乗り換えるため着陸するはずだったのだけど、なんだか長いことずっと飛んでいるようで、機内もちょっとざわざわしてきて、どうやら着陸の順番待ちのために空を旋回しているらしいのだった。

え、燃料とか足りるん?とか思ったけどまあとりあえず冷静に待ってたけども、そのうちドーハには着陸できないから隣の国のドバイに行くとかのアナウンスもあったりして、でも何分後かにはやっぱりドバイではなくドーハに着陸しますってなったりして何がなんやらで、一番心配だったのは、乗り換えの日本行き飛行機に乗れるのか?ということだった。

結局1時間以上遅れてドーハに着陸して、乗り換えの時間はギリギリで私たちは必死で次のゲートだったかチェックインカウンターだったかに走ったのだけども、びっくりするのは空港の建物の中のあらゆるとこに水たまりができていて、空港がごったがえしていて後で理解したのだけども、カタールは砂漠の国でドーハの空港も砂漠の中にあるらしいのだけども、だから雨などほとんど降らないはずなのだけども、その日はものすごい大雨がドーハに降って空港が完全に麻痺してしまい順番通りに飛行機が着陸ができないという自体がおきていたということだった。

砂漠の国なので空港も大雨を想定していない建物のつくりで雨漏りしまくったらしいのだった。


そういうわけで色んなことがごちゃごちゃだったけどなんとか乗り換え便の列に間に合ってひとまず安堵して列に並んで待っていた。そしたら係員みたいなひとがやってきて「ミスオクノとミスターシラーですか?」と私たちを確認し、ちょっとこちらへ来てくださいと、並んでいる列からピックアップされて空港内の端っこに連れて行かれた。

え、えええ?って全くなんなのかわからず、でも、待てと言われたから待っていたけども待っている間に乗るべき飛行機の離陸時間はあっさりすぎて、もう何が何だかわからない。

私たちが待たされているところには他にもドイツ人と日本人が数人同じように係員につれて

こられていて、みんな訳がわからない面持ちで突っ立っているしかない感じ。この状態でかれこれ1時間くらい過ぎた。


最終的にそこに集められたのは私たちも含めて7人。日本人女性2人とドイツ人女性1人とドイツ人男1人と私たち。

1時間もそこで一緒にいたので、一体どういうことなんでしょうね、、みたいな会話を初対面の人間同士交わしながら、今自分たちがどういう状況にいるのか全くわからずながらもどうしようもないので皆でおとなしくまっていた。

待ちくたびれた頃に、やっと係員が来て、ちょっとハイクラスのお客さんようのラウンジみたいなところに連れて行かれて、ここで待っていてくれとのこと。


この時点で、この大雨の混乱のせいなのかはわからないが、どうやらオーバーブッキングで、私たちはリストから弾き出されたメンバーらしいというのが推測できた。

まあ仕方がないので、またそこで2時間ほど待つことに。その間ひまだし何がなんやらだしで、その運命共同体の人たちとそれぞれ軽く自己紹介して雑談しながらすごしたのだけども、今思うとあの時はスマホなど存在しなかったのだな。


はじき出されたメンバーのひとりは、当時26だった私よりも確か数年若い日本人女性で、1歳にならない赤ちゃんを抱っこで連れていた。

バイオリニストでドイツに音楽留学して、ポーランド人と出会って結婚して子供も生まれたのだけど、夫はちゃんと働かないし貧乏やし生活大変やしもう別れるつもりで、今はひとまず一度日本へ帰るのだ、ということを淡々と話していた。なんか色々めちゃくちゃ大変そうだけど肝が据わったような落ち着きように感心したのを覚えている。

もう一人の日本人女性はキャリアウーマンぽくて、大切な会議が明日あるから是が非でも日本に帰らなくてはいけない!と待ってる間もノートパソコンひらきながらめちゃくちゃ焦っていた。

ドイツ人女性はひとりだけで、二十歳くらいのとても若い金髪美人で大阪のドイツ文化会館で実習生として働くために日本に行くということだった。

ドイツ人男性は、30代後半くらいのひょろっとした人で、”ウォーリーをさがせ”のウォーリーに似た印象で、京都の語学学校で日本語を勉強するために日本に行くという。職業はクリスマスマーケットの露天商。ブリキの看板をドイツのいくつかのクリスマスマーケットで毎年売っているらしい。名前はヘルゲ。


結局2時間ほどしてまた空港の係員みたいな人が来て、みなさんが乗れる日本への便を探し中です、という説明をしにきて、けっこう時間がかかるけどシンガポールでもう一度乗り換える便に席があるという話で、明日重要な会議を控えたキャリアウーマンの日本人女性が、どうしても日本に帰らなければいけないので乗りたいです!ということで、その便に乗ることになってさよならして、ここからは5人と赤ちゃんの6人。


ドイツ人男ヘルゲとベアは、どうせオーバーブッキングなんだろう?それならビジネスクラスかファーストクラスの空いているところに乗せろや!みたいなことを言い始めクレーマー化していたがそれは通らずスルーされた。で、結局そのラウンジで3時間ほど待ったあと係の人がまたきて「今日はもう飛行機がありません。明日の同じ時間の日本行きの便に乗ってもらいます。今日は一旦空港をでて、ホテルに泊まってください。」という。もうみんな待ちくたびれて、疲れていたので、え?泊まるの?え、明日?とかなったけどもう従うしかない。


空港をでるということはカタール国に入国するということなので入管まで係員のひとに案内され、空港をでたらホテルの迎えがくるのでそこで待っていてください、というとてもアバウトな説明を残して係員のひとは去っていった。ので、そこからは私達6人だけで入管をとおりアラビア文字のハンコをパスポートに押してもらって空港をでた。駅の改札みたいな簡単な感じの入管兼空港出口みたいなところでものすごく簡単に出れたのを覚えている。

もう夜中の2時ごろで、真っ暗で、砂漠地帯だから空港の周りは闇の中。人もいない。

で、またそこで待ったのだけども、一向にホテルの迎えらしきものなどこない。ホテルの迎えが来る、というその一言を信じて真夜中のカタールに入国したけども待てど暮らせど迎えなどこない。


この時点で相当眠いし疲れてるしでもう意識も朦朧としてきて、ここが地球上のどこなのか、これは現実なのか?くらいの感覚にもなっていたと思う。私たち以外の人間は数台とまってるタクシーの運転手さんくらい。改札みたいな空港の出口のところに戻ってみるも真夜中なのでその頃には空港にも人があまりいなくなっていて、その人たちも私たちには無関心で、最終的にタクシーの運転手のおじさんが私たちの状況を理解して空港の人に説明してくれたかなんかやったかな、とりあえず、バンみたいなのが迎えにやってきた。この時もう夜中の2時くらい。


若いアフリカ系の運転手さん一人が乗っていて、これがホテルの迎えなのかの証明も根拠もないけどこれしかないので6人乗り込んですぐに出発。

運転手さん夜中なのになんかハイテンションで陽気で、砂漠の中に一直線にまっすぐ通る道路を物凄いスピードでぶっ飛ばす。なんかめちゃくちゃ速くないか?と気づいた頃に、なんと車が道路の真ん中でスピンしてぐるんと廻った。えええ??ってなって、もうほんとうに現実と非現実が混同してくる。どうやら大雨のせいで道路が濡れていて、でも運転手さん、濡れた道路など走ったことのないので手元がくるったみたい。このスピードやし。真夜中だからなのか車はこのバン一台だけだったから何もなかったけども。

運転手さんは、お〜ビビったなあ〜くらいの感じで、また走りだした。

もう何かの映画を見ているよう。


そして着いたのが、ものすごいホテルの入り口だった。

お城か?くらいの建物で、入ると、なんとその絢爛豪華なでっかいロビーにも水たまりができているのだった。高級なのかなんなのかよくわからない。ミスマッチさがはんぱない。

夜中なのでホテルの従業員の人は2人くらいで、その人たちに、待ってる間ずっと気がかりだった「日本の家族に到着が1日おくれると連絡を入れたい」ことを伝えると、「OK,じゃあひとり3分ね」と。え、3分?と思ったけど、とにかくホテルの電話で実家に電話して「詳細は後から話すので明日の同じ時間に着きます」とだけ伝えた。

赤ちゃんを連れた若い彼女は、紙おむつが足りなくなりそうなので何枚かもらえないかときいてみるもそんなものここにはない、みたいな感じでいわれて、結局彼女は「大丈夫、なんとかなると思う」と言っていた。本当に冷静沈着。落ち着いている。


で、部屋に案内されると、小さいながらもそれはみたことないくらい豪華な部屋で、カーテンとか絨毯もゴージャスなゴテゴテな感じで、これまた映画に出てくるような部屋だった。砂漠のなかに点在する夜景もみえて。

とにかくもうくたくたでぐっすり寝た気がする。


翌朝はてきとうにおきて、食事はバイキングときいていたのでいくと、それがまたもうみたことのないような色んなご馳走が大量に並ぶゴージャスさで、伸びたシャツとゆるめのズボンみたいな私は完全に場違いな感じだったけども、こんなに大量のご馳走が並んでいるのに、食事をしているのは私たち以外には数人の人たちだけだった。誰がこんなに食べるのだろう?と不思議だった。



窓からホテルのロータリーをみていたのだけども、長い胴体の真っ黒のぴかぴかのリムジンがとまって、降りてきたのは白い服の男性と全身黒の女性。それ以外も入ってくるのはものすごい高級車ばっかり。ホテルで見かける男性客は皆白い服で、横の女性は全身真っ黒のヒジャブだった。

カタール航空、どっかの小国の安い航空会社と思っていたけど、どうやらこの国はとんでもないお金持ちの国らしかった。国民みんながお金持ち。

油田があるから、らしい。たぶん。

なのでこの国の多くの労働者は皆外国人らしいのだった。そういえば空港のひともタクシー運転手もホテルの人も、料理人も、ウェイトレスもホテルの掃除をしてる人も、働いている人は、アジア系かアフリカ系の顔立ちで、なまりのある英語でコミュニケーションをとっていたな。

 うそみたいなすごい世界がそこにあって、国家のシステムとか国際情勢とか国民にお金が配られるってことなのか?とか何がどうなってるのか、何が本当なのかもわからないのだけど、まあとにかく、またその日の午後、砂漠の中の一直線の道路を突っ走って空港に行き、無事前の日に乗るはずだったのと同じ時間の飛行機に乗れてそして日本に降り立ち、私たちの日本での生活が始まったというわけ。


あれから16年がたったのだな。

そういえば、あれはワールドカップがドイツであった年だったな。




ドーハで運命を共にしたひとたちとは空港に着いたあとは、おつかれさまお元気で!とあっさり別れたのだけども、ヘルゲとはそのあとも京都に遊びに行ったり、大阪にとまりにきたりして、彼が日本にいる間親しく過ごした。そして半年後くらいにはドイツに帰って行ったのだけども、びっくりなのは、帰りの飛行機の中の隣の席が、なんと、ドーハで一緒だったあの20歳の金髪美人だったらしい。ヘルゲもドイツ帰国日を2回ほどのばしたのだけど、彼女も実習期間を延長し帰国日を変更してたらしく、その上でのドイツへの帰国が同じ便のしかも隣の席になるという偶然。本人たちもものすごくびっくりしたらしい。

そんなことってあるんだな!




以上、"カタール"で思いだした、ドーハの大雨の話。











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