ねこさん2のつづき。
子猫たちが巣立った次の日は、もう”お母さん”ではなくて”ねこさん”にもどってた。
ゆっくり自分の毛繕いをしながらやれやれやっと自分の時間ができたって思ってる感じさえした(推測)。
というわけで、息子は生まれた時から家にはねこさんがいて、そして、私の子育てにはいつもねこさんがいた。それはとてもありがたかった。
ねこさん、赤ちゃんや子どもにはいっさい爪も歯もたてなかった。
上にのられても、叩かれても。
小さい男の子はかなりいろいろなことをするけれども、絶対に反撃したりすることはなくてじーっとがまんしていた。どうにもならないときはにゃあとちいさくないて助けを求める。そして私やベアの手が近づくといきなりガブっとかんだり引っ掻いたりしてそれまで我慢していたのを大人相手に爆発させた。
子どもには手をだしてはいけないと100%わかっていた。
人が好きな猫で、郵便配達のひとにも宅配便のひとにも擦り寄っていく。
「ねこさーん」って呼んだら、近所のどこにいても全速力で走って帰ってきた。
断然犬派だった私は、いつのまにか、”生活の中に猫がいる”ということが暮らしのあたりまえになっていた。
2018年の大阪北部地震のときに、ねこさんがいなくなった。
朝、枕元で寝ていたのは記憶にあるのだけども、8時くらいに地震があって、1日いろいろと落ち着かなくてねこさんのことまで気が回らず、夕方になってそういえば1日ねこさんをみていないことに気づいた。
庭中、近所中、「ねこさーん、ねこさーん」と呼んでさがしてまわったけど、全く気配がない。全速力で走って帰って来ない。
地震もだしサイレンやら大音響の放送やらにびっくりしてパニクって家を飛び出して突っ走って、いったことのないところまで走ってしまい帰れなくなったのではないかと推測。
タイミング悪く、地震の数日前に首輪が外れていて、新しいのを買わなければと思いつつまだ買ってなかった束の間の「首輪なし」の状態でもあった。そのことをとっても悔やんだ。
その日から毎日毎日探しまくった。「ねこさーん」と叫びながらいろんなところを自転車でまわった。迷い猫の貼り紙もつくった。あのときはガラケーだったので、写真と「ねこさん探してます」と電話番号を書いたショートメッセージを知ってるお母さんたちに送りまくった。
1週間経っても2週間経ってもみつからない。
何をしていてもずっとねこさんのことが気になる。
家にいても、にゃあ、と聞こえたような気が、帰ってきたような気が何度もするし、
スーパーに行く道も自転車をこぎながらずーっとねこさんを探している。
そして3週間たったころ、ねこさんかもしれない猫がいます、という電話をもらった。
家からだいぶ離れた川もひとつ超えるところにある幼稚園の前。
自転車をぶっとばして向かうと、痩せこけたねこさんがいた。
見つけてくれたのは、私は直接は全くしらないお母さん。知ってるお母さんたちに送った「ねこさん探してます」を、お母さんたちが子ども会や、自分の子が通う幼稚園のお母さんたちにも拡散してくれていて、私は直接は知らないたくさんのここらへのお母さんたちに「ねこさん探してます」が届いていて、幼稚園のお迎えの時間に幼稚園の近くにいたねこさんをみて、「あ、この子もしかして」と、あるお母さんが気づいてくれたらしい。
というわけで、ねこさん見つかった。
お母さんたちのおかげ。
ほんとうにありがたかった。
そんなこんなで、他にも怪我をしたりもいろいろはあったりしながら、14年一緒に暮らしてきた。
ふたつ前の雑記帳「ねこさん」を書いたのが2月なかばで、そのひと月後の3月の終わり頃にねこさんが体調不良になった。
今まで家の中にしたことはなかったのに、床におしっこして、かごの奥に入り込んでじっとしている。口は半開きで顔の様子もあきらかにおかしい。
そのうち息も荒くなってぐったりして、つばもひどくて動物病院で色々検査もしたけれど、”体のどこかの炎症”ということしかわからずだった。
次の日に呼吸は正常に戻ったけど、口内炎がなかなかなおらず、自分からは食べなくなってしまった。
もうおばあちゃん猫ではあることはわかっていたけど、あと5年くらいは一緒に暮らすものだと漠然と思ってた。から、いろんな現実が一気におしよせて私はうろたえた。そういえばここ最近昼も夜もずっと寝てるから「猫、睡眠時間」で検索したりしてたな。えさの選り好みもはげしくなってたな。小さなサインに気づいてやれることはあったのにと、たらればが押し寄せた。
薬のおかげか自然治癒かよくわからないけど口内炎は少しましになったりもしたけど、前のようにはもうもどらなかった。ねこさんの看護と介護の日々がはじまった。何度か呼吸が荒くなる危篤状態にもなって、なんども覚悟はしたけど、なんどもなんどもねこさんは復活してよろよろと歩きだすのだった。
2月に「ねこさん」を書いたのは虫の知らせだったのか。
ぐったり寝てるねこさんの横で「ねこさん2」を今書いとかないと、いなくなってしまったらもう書けない気がしてかいた。なのに仮題「ねこさん3」も書き始めて、最後には、ねこさん復活!って書くのだと思っていた。辛そうな時間が1ヶ月も続いていて、もう楽になっていいよと思っているのに私は往生際が悪かった。あきらめられなかった。ねこさん、何回も復活するから最期の最期まで「もしかしたら」って思ってしまってた。
食べなくなってねこさんはひと月半も生きた。
すごい生命力だった。
最期の最期まで自分でスフィンクス座りをしようとしていた。
ねこさんのおかげで「100万回生きたねこ」の王様や船乗りやどろぼうや手品つかいやおばあさんや女の子の気持ちが、私はやっとわかった。
猫が死ぬと、人間は大きな声で泣くのだなぁ。
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